照る日もあれば曇る日もある

私をたずねて三千里

タダヨガYouTube ライブ配信!

新年明けて、とてもありがたい連絡をいただいた。

しほ先生から、

YouTubeの生配信で写経をやりませんか

という内容のメール。

何十回と写経をしてきて

写経の良さを伝えたいとは思っていたが

伝え方がわからずにいたから

急に目の前が開けた感じがした。

 

【Youtube告知】生ライブ!「ヨガ&メディテーション&写経」番組! | ヒキザンガヨガ

 

以前から、般若心経の写経と

アシュタンガヨガに共通するものを感じていた。

 

守破離でいうと、写経もアシュタンガヨガも

「守」。

型に沿って動く事で、今の自分とつながる。

 

写経も書き方によって瞑想状態になる事が出来る。

それを私の体感を踏まえ、私なりの言葉で

伝えたいと思っています。

 

 

ぜひ!

 

 

そして、これを機に(便乗ともいう)、

風の時代に変わったし...

始めてみました、YouTube

第1回目の投稿。

こちらもぜひ!

 

 

 

 

2020年という年

年越しちゃった。

 

私の去年の一文字は「自」かなぁ。

いろいろ浮かんだのだけど、一番しっくりきたのが

この「自」。

 

とにかく自分に向き合った1年だったと思う。

 

もともとインドア派なので、緊急事態宣言で

ステイホームを余儀なくされても平気で、

このタイミングだ!と言わんばかりに

断捨離をした。

物だけでなく、その物にまとわりついていた

余計な解釈とともにたくさんの物を捨てた。

 

自分という者を知るために

数秘術ホロスコープを見る講座も受けた。

オンラインは私にとって時間を有効に使える

有難いツールであった。

今までなら開催日時を見て諦めたであろう講座も

受ける事が出来た。

そこで、もともとの自分の質みたいなものを

知ることが出来た。

 

塾や研究会でもたくさんの体験をさせていただき、

その時の自分がどこにいるかを知り、

また観ていく事ができた。

 

とにかく自分の為に時間を使った1年だったなー。

こんなに自分中心で動いた事なかったんじゃないか

と思うくらい、自分に対して貪欲だった気がする。

 

そして、これから

自立に向け

自由に向け

行動していこうと決めた年末だった。

 

❇︎

 

今年は、私を貫く。

 

 

 

話しのズレ②

①のつづき。

 

他人の話を聞いている時、

聞いている最中にも関わらず

「この人の話には、なんて答えたらいいのだろう」

と、頭の中にある過去のデータや

身につけた常識の中から、最適だと思われる言葉を

無意識で検索し始める。

 

検索中は多分、相手の話は耳に入らない。

検索中に話の内容が変わっている場合もあるから

検索結果が一致しなくなって

ズレる。

 

過去や常識から検索してきた言葉は

以前、起きたやり取りの中から

引っ張ってきてるので、

今、目の前にいる人の為の言葉ではない。

一見、会話のキャッチボールに見えるけど、

キャッチボールの相手は過去の人だ。

目の前の人ではない。だから

ズレる。

 

❇︎

 

自分の言葉で問題が起きたら嫌だな、とか

それが間違ってると恥ずかしいな、と思い込み

「○○さんから聞いたんだけど...」とか

「テレビで言ってたけど...」とか

自分の言葉に責任を持たないのも

ズレの原因になり得ると思う。

 

❇︎ ❇︎ ❇︎

 

私は、ここまでに書いた例が

全て当てはまる人間だった。

なので、いざ自分の言葉で話そう!と思っても

自分の言葉が見つけられず、

話すことが怖くなったり、

何も話せなくなった事もあった。

 

それでも少しずつ見つけて、絞り出していったら

少しずつ自分の言葉が出るようになった。

 

自分の言葉が出るようになってくると、

自分の言葉が大切になって、

それに伴い他人の言葉も大切なのだと気づくから

一言一句もらさないように

今、目の前で話している相手の言葉を

しっかり聞くようになった。

 

すると会話が成立し始めるようになるので

自分の言葉に自信と責任を持てるようになる。

これで、いよいよ私の言葉が

自分の本当の言葉が出るようになった。

 

ちなみにこの段階でも会話がズレる事がある。

でも、自分の考えと他人との考えは

元々同じじゃないから、

有意識で話した言葉でのズレは、

ただの好みとか意見の違いなので、

おおいに議論すればいいと思う。

 

この「ズレる」って

日本の今までの時代の教育の副産物だなって思う。

でも、これから来るのは「個」の時代。

自分の言葉で話せる人が

生まれ持った個性を出し合う

そんな時代になっていく

と、

思っているのであります。

 

 

 

話しのズレ①

このブログを初めてから

私は人と話しているとズレが生じる

と、度々書いてきた。

 

本当の自分に戻る為に

この約2年の間に自分を観ることを続けてきて

「ズレ」が生じる幾つかの原因に気がついた。

 

自分の気持ちより

他人の気持ちを優先した発言をしようとするから

ズレる。

 

考え方は人それぞれ違うのだから

相手の考えを1ミリも違わず汲み取って話そうなんて

至難の業。

しかも、自分の考えは抑え込んで話さないから

出てきた言葉は、もはや自分の考えでもなくなり

他人とも、自分とも

ズレる。

 

本来一番分かるはずの自分の声は

常に後回しにされ、

いつの間にか

「自分の考えや言葉が一体どれなのか」

それすら分からなくなってしまって

他人だけでなく

自分からさえズレている事も

分からなくなるのだ。

 

ちょっと長くなりそうだし、

でも、長く書きたいから

一旦ここで、切ろっと。

 

ー つづく ー

 

潜んでた思い

先週金曜日は深掘り+アップデートの研究会。

 

2種類の研究会に参加してるのだけど、

8月くらいから、こっちのチームに参加する度に

後頭部を鈍器で殴られるような衝撃(気づき)を

受けている。

 

今回もショックの連続。

 

優しさの裏に潜んでいた傲慢さや自己満足。

空気を読んで忖度しているつもりが

その曖昧な態度で人の時間を奪っていたこと。

「頑張っています」と涙ながらにアピールし

聞いている相手に感情労働をさせていたこと。

 

「すごい!私にはそんなこと出来ない!」

一見称賛にみえるその言葉の裏には

「そんなこと、私だったら出来ないわー」

と、実は相手をバカにしている私。

 

優しさ、忖度、努力、称賛、

本気でやっていたつもりだけど、

生きてきて身につけた

「みんなに受け入れられるため」

の無意識の行動。

 

上記はあくまでも私の場合だけど、

自分の気持ちにフタをして

置いてけぼりにしていると、

表面的なキレイをやっていると

ドロドロした本音や感情を

どんどん溜め込んでいってしまう。

 

キレイな表面とドロドロした中身とで

バランスをとっているのだ。

 

いつまで表面キレイをやって

中身ドロドロに苦しんでいるのだ?

 

気づいて目を醒ませ、私!!

 

 

キレイなんです

小さい頃から

親や学校の先生の言うことを

とてもよくきく子だった。

 

社会に出てからは

先輩や上司。

 

あまり人の事を疑わないタチで

みんな私の為に言ってくれているのだと

本気で思い、全力で自分に取り入れた。

 

みんなが教えてくれた常識たちを

キレイに身につけてきた。

なので、とてもきちんとした

キレイな私が出来ました。

 

❇︎

 

自分の本質に戻ろうと

塾や研究会のみんなと日々学び

私は自分の言葉でしゃべろうとすると

言葉が出てこない

ということに気づいた。

 

話せない、しゃべれない

訳ではない。

基本、チョーおしゃべり。

 

そういうことではなくて、

誰かと合わせるためでなくて、

誰かの気持ちを汲むでなくて、

私だけの言葉。

 

自分以外の人を考慮しない

私だけの言葉。

 

ずっと人を意識して話してたから

話そうとすると

キレイな、

気持ちの良い言葉しか出てこない。

 

❇︎

 

キレイな自分が良いとか悪いとか

そういうことを言いたいのではないのです。

 

そういう自分を

やめたいなー

というお話。