照る日もあれば曇る日もある

私をたずねて三千里

ギックリ腰

8月半ばにギックリ腰になってしまった。

今回で3回目。

なんとなく予兆があって、最悪な事態は免れたが

それでも2〜3日は起き上がるのに5分近くかかった。

 

以前、人の怒りは腰痛として出る事があると

聞いた事があった。

ギックリ腰になったその日、じーっと

横になりながらスマホで調べてみる。

やはり、その様な事を書いている人がいた。

 

せっかく(?)なので、今までの事も振り返ってみる。

すっかり忘れていたが、3回ともなった時期がお盆だった。

 

普段、あちこち出掛けてばかりの私にとって、

お盆の時期は自由が効かない期間だ。

 

1回目の時は怒りではなく、重い物を持ってなった。

この時は実家にいて、2週間くらい上げ膳据え膳だった。

2回目と今回は、お盆になった頃からイライラしていた。

そして、その2回は重い物を持ってなったのではない。

怒りと共に、

「ギックリ腰になると全て放棄して寝ていられる」

という無意識が作用してギックリいったのかもしれない。

そのイライラした現状から逃げ出す為にだろうか。

 

 

怒りは、悲しみや淋しさの二次感情の場合もある。

今回はさらに、その悲しみまで見えた。

 

ギックリ腰になる直前に見たドラマの1シーン。

過去の私にも経験がある様なシーンだった。

でも違ったのはドラマではハッピーエンド。

私は同じシーンでもショックを受ける結末だった。

そしてそれを10年以上なかった事として扱っていた。

細かい内容は長くなるから省くけど、

本当は悲しかったのに、誰にもそれを言わず、

泣く事もなく、「そういうものだ」と私は感情を

押し殺したのだ。

 

そんな昔の事を私は無意識にずっと握っていた。

「本当はものすごく悲しかったんだよね」と、

当時の私の分まで、気が済むまで泣いた。

 

人の感情ってすごい、と改めて思った。

良い方向に作用する場合もあるし、

今回の様に溜まっていた感情から病気になってしまう場合もある。

 

感情は溜めない。

無意識にある悪いパターンは手放していく。

ギックリ腰を通して改めて自分の感情と向き合う

大切さを感じた。